神楽坂には、小さな公園がいくつかあります。
なかでも寺内公園は、神楽坂地域最小の公園だと思います。
散歩のついでに子供と寄ってみました。
寺内公園とは
一般的なブランコがあってすべり台があってという公園ではなく、遊具は一切なく広場的な公園です。
全体観はこんな感じです。
樹木があり、腰掛けイスがある程度。
子供と遊びに行くというより、ちょっと休憩に立ち寄るような公園です。
寺内公園の由来
その名の通り、もともとこの地にお寺があったようです。
その後、明治に入り区画整理でお寺が移転。
大正になり神楽坂が花街として栄えると、ここの跡地も夏目漱石や喜劇王・柳家金語楼、歌手・山下敬二郎の親子、女優・花柳小菊、勝新太郎、芸者歌手・神楽坂はん子など多くの芸能人や文士に愛されました。
歴史と由緒ある場所が「寺内公園」なんですね。
以下、「寺内公園の由来」看板の書き起こしです。
寺内公園の由来
この「寺内公園」の一帯は、鎌倉時代の末から「行元寺」という寺が置かれていました。御本尊の「千手観音像」は、太田道灌、牛込氏はじめ多くの人々が信仰したと伝えられています。寺の門前には古くからの町屋「兵庫町」があり、3代将軍家光が鷹狩りに来られるたびに、兵庫町の肴屋が肴を献上したことから「肴町」と呼ばれるようになりました。
江戸中期の天明8年(1788)、境内の東側が武家の住まいとして貸し出されるようになりました。この中に、貸地通行道(後の区道)という、人がやっとすれ違える細い路地がありました。安政4年(1857)頃、この一部が遊行の地となり神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられています。明治4年(1871)には、行元寺と肴町を合わせて町名「牛込肴町」となりました。(昭和26年からは「神楽坂5丁目」になっています。)
行元寺は、明治40年(1907)の区画整理の際、品川区西五反田に移転し、大正元年(1912)に大久保通りができました。地元では、行元寺の跡地を「寺内」と呼び、味わい深い路地のある粋な花柳街として、昆沙門さまの縁日とともに多くの人々に親しまれ、山の手随一の繁華街として賑わっていました。
文豪、夏目漱石の「硝子戸の中」大正4年作(1915)には、従兄の住む寺内でよく遊んでいた若き漱石の神楽坂での思い出話がでてきます。また、喜劇王・柳家金語楼と歌手・山下敬二郎の親子や、女優・花柳小菊、俳優・勝新太郎、芸者歌手・神楽坂はん子などが寺内に住んでいました。このように多くの芸能人や文士に愛された「寺内」でもありました。
日本経済のバブル崩壊後、この一帯は地上げをうけましたが、その後の高層マンション建設に伴って、区道が付け替えられ、この公園ができることになりました。公園内には、地域の人たちのまちへの思いやアイデアが多く盛り込まれています。
いつまでも忘れることのない歴史と由緒あるこの地の思い出をこの「寺内公園」に託し、末永く皆様の思い出の場として大切に護り育てましょう。
平成15年3月吉日 新宿区
寺内公園 まとめ(マチコ所感)
寺内公園は、メイン通りの神楽坂通りから一本入ったところにあります。
こんなところに公園が!と思う場所にあり、ちょっと一息つくのに適した公園といえます。
公園近くには、神楽坂で大人気の和スイーツカフェの「神楽坂 茶寮 本店」があったり、
公園奥には、神楽坂の裏路地に抜けらる趣きのある階段があります。
また、焼き鳥や中華などのお店などが入った「ROJI」という複合飲食店ビルも近くにあります。
寺内公園は、多くの飲食店に囲まれています。
寺内公園の由来にあったように、当時の賑わいに想いを馳せながら訪れてみたい公園です。
嵐の二宮和也さん主演「拝啓、父上様」に登場
ちなみに、2007年のTVドラマ「拝啓、父上様」の第1話に、この寺内公園が出てたんです。
神楽坂が舞台にした、嵐の二宮和也様が主演したドラマです。
今思うと、大げさではなく、このドラマを機に神楽坂が変わったように感じます。
マチコが学生の頃の神楽坂は、大人向けの飲食店が中心でしたが、ここ10年で若い人向けの飲食店が本当に多くなりました。
その代わり、お店の入れ替わりも激しいですけどね。
子供連れ・赤ちゃん連れ安心度
評価:4.0
・危険な遊具があるわけでもなく、ただの広場です。
・トイレはありません。
・小休憩にちょうどいい公園。
寺内公園 アクセス・地図
- 住所 東京都新宿区神楽坂5丁目7
- アクセス
東京メトロ東西線神楽坂駅 徒歩7分
大江戸線牛込神楽坂駅 徒歩7分
寺内公園 情報
寺内公園 | 神楽坂 / 公園 |
営業時間 | 24時間 |